ひとり朗読

 2003年、ひょんなことからラジオのパーソナリティをすることになった。ラジオ好きなわけでもなく、音楽に詳しいわけでもなく、しゃべるのが得意なわけでもなかった。なのに「やってみない?」の一言に「うん、いいよ」とあっさり答え、蔵の町喜多方で新しく生まれるコミュニティFM局「喜多方シティエFM」のパーソナリティとして、立ち上げから関わることになった。その年の4月「碧い月」は、三春町に移転していた。私は、週1回の定休日をラジオの生放送と収録のため喜多方まで通うことになった。

 高校卒業後上京した私は、私鉄沿線の小さな劇団で舞台に立っていた。その経験を買われたのだが、その世界いたのはわずか3年弱。その後キッパリと表現の世界から離れて20年経っている。よって、経験など無いに等しい。何より、劇団を辞める時「もう二度と舞台に立つことはありえない」と強く思っていたのだ。それなのに、私は、何のためらいもなく、その依頼を引き受けた。

 ほとんどが素人で始まったラジオ局だった。機材の使い方一つおぼつかない。それでも新しい世界にワクワクしたし、1時間半の通勤も苦ではなかった。お世辞にも高給ではなかったが、企画から制作までを自在にできる楽しみは大きかった。そして、人との出会いも財産になった。

 20年前、自分の表現力のなさに絶望して女優という道を諦めた。理解力の欠如だった。若かりし私には、何が判らないのかが全くわからなかった。致命的である。早々に見切りをつけて正解だったと思う。しかし、心の奥底には、満たされなかった感情がずっと居座っていたのだ。

 その想いがじわじわと染み出してきてしまった。

 喜多方でのラジオの仕事は1年で終了した。その後は、番組内で知り合った音楽家と朗読ライブを行うようになった。再び舞台に立つようになったのだ。しかも、オリジナル作品での公演だった。アコースティックギターと朗読のデュオという、まさかの展開となった。私は、送られてくる曲に詩をつけて、歌うのではなく、歌うように読んだのだ。それはとても素晴らしい表現方法だと思った。実際、多くの方に聴いてもらった。

 だが、ある時思ったのだ。

 音を入れないで読みたい。

 私は、二ついっぺんに集中するのが苦手である。ギターと一緒だと、ギターの音に集中しなければならない。すると、自分のタイミングがつかめない。どんなにリハーサルを重ねても、同じようにはいかないのが本番である。回を重ねるたびに、作品が増えるごとに、私の脳内は混乱した。

 ひとりでやってみたい。

 ギターと離れることで、公演の機会は減ることになるが、自身の店で定期的に開催すれば、現場から遠ざかることはない。

 そうして「ひとり朗読」が始まった。

 読む作品のほとんどは、宮沢賢治である。

 その理由は、実に単純である。

 ラジオで朗読した最初の作品が、宮沢賢治の「春と修羅」序だったのだ。つまり、一つにしか集中できない私は、他の人の作品を読む容量がないのだ。宮沢賢治を崇拝しているわけではない。好きとか、嫌いとかではなく、気になるからと答えるのが一番しっくりする。賢治の作品は興味深いが、宮沢賢治という人を好きかどうかは、わからない。わからないから、読むのだ。そして、その背景を妄想する。私なりの賢治像を描いて、作品に挑んでいる。不思議なことに、読むたびに感じ方が変わる。だから、やめられないのだ。

 一つにしか集中できない私は、一つずつ納得しないと次には進めないのである。

 よって、私の朗読は、ひとりで続くのである。

 宮沢賢治を終えることは無い。

 

 青春時代に封印した感情は、人生折り返しを過ぎて出番を迎えたのだ。

 

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