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終わり時

 始まりは意地のようなものだったかもしれない。

 石の上にも三年。継続は力なり。

 まことしやかに囁かれる「努力」の末に手にする「結果」は、自分では、全く目に見えず、つかみどころもない。よって、変化にも気付けない。

 何かを始める時は、勢いついており、明るい展望しか抱いていない。それは、概ね、浮き足立っている状態である。時とともに、現実が見え始め、己の足元がいかにぬかるんでいたかを知ると、次に踏み出す一歩にためらいを持ち始める。しかし、歩き始めた意地が、もう少し、もう少しと結論を出すことを先延ばしさせてしまう。その先に、必ず、明るい光が差し込んでいると疑いたくないのだ。

 何のために?
 誰のために?

 それは、当初から考え続けていた。そして、あらゆる理由を見出した。それを、「こじつけ」と呼ぶ気もするが、それで、均整は保たれていた。

 だが、しかし。

 意味を見いだせなくなった。

 求めていた答えが見え始めたせいもある。

 意地で続けるのは、もう、終わろうと決意した。

 

 2017年12月31日(日)の「ひとり朗読」を持って、月例の朗読会は、最終回となった。

 事前に告知することをあえて避け、当日来てくれた方だけにその旨を告げた。

 朗読をやめるわけではない。毎月の公演を終了させたのだ。今後、どんなスタイルで発表するかは未定である。

 あらゆるものを手放し、終わる勇気を手にしたのだ。