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満開

 あっという間に満開。と同時に気温低下でずっと満開。

 

 まさかの早期開花で、あたふた。お花見計画の方々も、かなり調子っぱずれで困惑であろう。やっと観光バスを見るようになった。この気温だと、今週は持つだろうな。

 この時期は、普段閑散としている当店も、それなりに混雑する。私は、ひとりてんやわんやである。それを知ってか、常連さんたちは寄り付かない。あはは。遠方からの花見常連さんたちは来るけどね。年に一度の懐かしい顔に、どれくらい会えるかな。

 

 私が生まれた家には,桜の樹があった。戸建とはいえ、賃貸の市営住宅なのに、敷地外れの土手に父が植樹したのだ。私が生まれた時、幼稚園に入った時、小学校に入った時。ソメイヨシノと八重桜と3本植えられていた。市の住宅課でも把握していたのだろうけど、黙認されていた。あの頃は、おおらかだった。誰も傷つけないし、迷惑もかけないからだったと思う。

 私の成長と同じく大きくなった桜の樹は、見事な花をつけ、近所の子供たちは、その樹の下でままごとをした。シロツメクサとデイジーが柔らかな敷物になり、花びらがご馳走になった。

 思い出の春の風景は、あの桜の樹だった。

 その後、私が生まれ育った家は、新しい市営住宅の建設のため取り壊された。小さな小さな家は、跡形もなく消え去ったのだった。当然、違法で植樹した桜の樹も伐採される。と思っていた。一人暮らしだった父は、新しくなる住宅に入居するのを拒み、同じ町の同じくらい古い市営住宅に移り住むことになった。小さな庭木は自力で植え替えたが、さすがに大木になった桜の樹を移植することはできない。父は、桜の樹を諦めたのだ。

 私は、思い出の樹がなくなっているのを見るのが嫌で、その場所へは行かないようにしていた。

 風景が次々変化して行き、思い出だったのか、思い違いだったのか、思い込みだったのか。記憶なんて、曖昧である。ならば、確認しておこう。人生の折り返しを過ぎた頃から、強く思うようになった。

 ならば、あの桜の樹も。

 役所の計らいなのか、伐採費用がなかったのか、父の植えた桜の樹は、今もなおたくさんの花を咲かせているではないか。桜の樹から見る風景は、あの頃と同じものは何もないのだけど。桜の樹だけは、私の年と同じ分の成長を遂げて、立派な大木になっていたのだ。

 父を亡くしたから余計に、その樹が愛おしくなった。