· 

オオヤマザクラ

 わさわさと葉を茂らせ、ぐんぐん成長している。小さな実をつけていたので、ちゃんと花が咲いたようだった。

 一人の愛おしい人を想って、尽きない思い出話を語り合う。時の流れに抗うことなく、かっこよく生きる仲間たちは、毎年この時期に、この樹を愛でるために、集うのだ。

 

 五月晴れの空の下、東京から4人の仲間が集まってきた。これまで私は、夕飯だけの参加で翌日の営業のため戻っていた。しかし、遠路集まった仲間との時間を、もっと楽しみたいと、いや、楽しまなきゃ損をすると、今年から店を臨時休業にした。昨年は、父の介護中だったので、仲間が店に寄ってくれた。なので、1年ぶりの再会。

 お互い多くを語らないのだが、たった一つを共有することで、付き合いの年数など全く関係のない、気持ちの良い付き合いが成立している。

 もう5年になるんだよ。

 そうか、そんなに時間が流れたのか。

 そんな会話を挟みつつ、大いに食べ、飲み、語り、夜が更けていった。

 翌朝、またまた晴天。ゆっくりと朝食をとり、この樹の下で磐梯山を仰ぎ見た。その後、雄国沼までのトレッキング。木漏れ日のさす樹林帯を高山植物を観察しつつ、ゆったりとした足取りで散策を楽しんだ。気になる植物があるとしゃがみこみ、ちっとも前に進まない。先頭を歩く私が話しながら振り向くと・・・誰もいない。なんて、しょっちゅうだった。その度に大笑い。一人黙々と登る山行とは全く違う、豊かな時間だった。

 以前も書いたが、オオヤマザクラは、亡くなった友人が愛した花で、彼女がそこに生きた証として、有志たちで植樹した。冬を越えるたびに強くなる樹は頼もしい。この樹に友人の魂が宿っているなどと、センチメンタルなことは言わない。ただ、この樹がしっかりと根付き、いつまでも可憐な花を咲かせ続けて、彼女を知らない人が、幾人も、幾人もこの花を愛で、思わず微笑んでしまったなら。もう、それだけで、何もかもが不幸とは呼べなくなる気がする。