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休業112日目

 ちょっと間が空いてしまった。

 ジメジメとした天気と、モヤモヤとした気持ち。

 なかなか、スキッとしないもんだねぇ。

 

 この夏の再開は、キッパリ諦めました。

 メールをくださった方、電話をくださった方、お手紙をくださった方。

 この場を借りてお礼申し上げます。

 気にかけていただきまして、どうもありがとうございます。

 どうか、気長に、気長〜に、お待ちくださいませ。

 

 さて、110日も休んでいる私は、この生活が日常となっています。

 草刈りをしたり、メルカリに励んだり、軽登山を楽しんだり。

 日中好きな時間に出かけられるのは、こんなにも便利なんだなぁとしみじみ感じ。

 お天気に合わせて、山へも行けるし、ネガティブ要素は、ほとんどありません。

 定年を迎えた生活って、こんな感じなのかな。と思っています。

 私の仕事に定年はありませんが、擬似定年を体験できて、それは、それで楽しいのです。

 自分の仕事のあり方や今後について考える、いい機会にもなっています。

 なので、冒頭のモヤモヤとした気持ちは、仕事の事ではなく、母に対しての諸々です。

 それは、どうにもならない現実だと理解してます。ただ、見守るしかなく、時が過ぎゆくのを待つしかないのです。

 実のところ、認知症の初期段階ですから、私のモヤモヤより、本人の方が、ずっとずっとモヤモヤしていると思います。何かが変だと思いながらも、何がなんだか、よく分からず、分からないことが分からなくなり、頭の中にずっと煙のようなモヤが立ち込めている感じなのだと思うのです。見えそうで見えない。掴めそうで掴めない。不安な独りぼっち。

 分析はできます。しかし、適切な対処となると、難しいです。

 それが、私のモヤモヤです。

 最近また、物をなくすようになりました。

 これまでは、全部泥棒の仕業になっていました。しかし、前回、泥棒の存在を否定され、証明されてしまったので、母は、逃げ道を失いました。なくなるのは、自分の物忘れだと決定付けられたので、自分が悪いのだと認めるしかないのです。自分が悪ければ、申し訳が立たない。叱られてしまうかもしれない。それは情けない。

 こんな図式が出来ているのだと思います。

 自分が一番辛いのです。だから、ギリギリまで隠そうとします。

 情けないのは、私の方です。

 そんな風に、追いやってしまったのですから。

 親を叱るほど、辛いことはありません。

 頭ごなしに叱ったりはしませんが、威圧感、あるんだろうなぁと思っています。

 どうして、もっと優しく出来ないのだろう。

 そんな自分の小ささに、モヤモヤが消えないのでございます。

 

 変えられない現実をどう受け止めるか。

 課題だね。