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失うもの

 八月のお盆の頃、奥歯が噛めないほど腫れ上がった。

 外からの見た目が変わらなかったのが幸いだったが、舌で触れただけでも飛び上がるほど痛かった。

 歯にこれほどの痛みを感じたのは、親知らずの抜歯以来30年ぶりである。

 

 その半月ほど前から、奥歯の違和感を感じ歯科治療をしていた。

 ずいぶん長く、なんか変だなぁ。と思っていたのだが、痛い訳でもなく、噛めない訳でもなかったので、放置していた。

 が、ある時、その歯を指で動かしてみたら、微かにぐらついたのだ。

 ・・・そう言えば、何人かの友人が、同じような症状で歯医者に行っているなぁ。

 まさか自分も・・・

 私は、歯磨きには少々自信がある。硬いものも好んで食べているし、間食もあまりしない方だと思う。

 よって、そうそう簡単に虫歯にはならない自信があった。

 噛みしめが強いのが難点ではあるが、それもできるだけ意識していた。

 なのに。

 老化は、間違いなく、確実に、私に忍び寄っていた。

 虫歯ではない。

 歯周病である。

 うわーーーー。

 年寄り入門じゃんか。

 かなりのショックと向き合うのに、少しばかり時間を要した。

 長いこと、奥歯の違和感は、詰め物が緩んでいるのだと思っていた。よって、それが剥がれて、詰め直せば、元に戻ると思っていたのだ。だから、あえてその歯で硬いものを食べたりして、スパルタ教育を施していた。

 なのに。

 ネットで調べた歯科医の門を叩いたその日。私の方向性は、完全な間違いであり、むしろ、悪化させていたことを知った。

 医師は、軽く、当たり前のように。

 治療は、二つです。

 温存か、抜歯か。

 ええええぇ!!!

 抜歯ですか。

 動揺を隠し切れない私。

 抜くんですかぁーーー

 医師は、抜歯を勧めたワケではない。

 それは、最終手段ではあるが、スパルタ教育は無謀であり、来るべき時は、遠からず来ると通告されたのだ。

 ま、まどろっこしいが、この歯は、もうダメなのを認めるしかなった。

 そんな時が来るなんて・・・

 ショックだった。

 が、先へ進もう。

 その日は、気になる部分の処置をしてもらい、とりあえず温存する方向の治療をしてみることになった。

 それは、出来るだけその歯を使わないように噛み合わせを調整して、歯茎が下がっている部分を修復し、ダメージを減らす治療だった。

 それでダメだったら、抜歯を考えましょう。と医師に言われた。

 え、そんなんでいいんですか。

 と、安心と不安が入り混じる。

 歯の治療をした翌日、新型コロナワクチンの1回目の接種をした。

 抗生物質を塗布したので、問診の際に医師に告げたが、接種には問題ないと言われホッとした。

 ワクチンの副反応もそれほど酷くはなかった。

 その1週間後、私の奥歯は、噛み合わせを調整してもらい、とても調子が良くなった。

 しかし、違和感がなくなったら、しみるのが気になるようになった。

 その1週間後、しみる部分を覆う処置をしてもらった。

 そんな治療が、実に簡単に行われるのに驚いた。

 ところが、しみる感覚は、以前にも増していった。我慢できないほどではないが、驚くほどダイレクトにしみるのだ。

 様子を見ていたが、どうもおかしい。

 と、ある日を境に、全くしみなくなった。

 なのに、かつてない痛みを感じるほど腫れ上がったのだ。

 ・・・歯医者、お盆休みだ。

 よりによって、休みの時に痛くなるなんて、最悪。

 激痛を耐え抜いた3日間だった。

 もう、こんなになるなら抜いてくれー。と心から思ったし、願った。

 医師は、苦笑いしながら、ダメだったね。と。

 それって、さよならって事ですね。

 無言で頷いた。

 取り敢えず、痛みの応急処置をしてもらい、抜歯の予約をしてその日は帰った。

 その日に抜かれると思っていたので、少し気持ちが落ち着いた。

 腫れも次第に落ち着いてきた。

 日に日に腫れは引き、痛みも収まり、普通に噛めるようになってきた。

 落ち着いてくると、本当に抜いちゃっていいのだろうかと、疑念が働く。

 覚悟が弱いのである。

 抜歯予定の日が迫る。

 そこで。

 なんと。

 母のトラブル続出で、私のストレスマックスになり、久々に腹痛に襲われた。

 もー、何なのよ。なんでこんなに痛い思いせなあかんのやーーー

 と、謎の関西弁になる。

 いや、これ幸いに、抜歯を延期してしまおう。

 根性なしです。

 ま、その延期のおかげで、腫れも痛みもすっかり良くなった。

 あれは何だったのだろう。

 と、自分なりに推測してみた。

 

 新型コロナワクチンの接種は、健康体であればほとんど問題は起きない。

 接種してから約2週間で抗体が出来るそうだが、その間、体の中では、ワクチンとの戦いが繰り広げられている。

 免疫細胞は、その戦いに費やされるのだ。

 つまり、いつもより抵抗力が弱くなる。

 そうなると、ちょっとしたストレスや疲れで、普段何でもない部分が炎症を起こしたり、痛みが出たりする。

 と考えた。

 そうなると合点がいく。

 あくまでも素人考えであることを添えておく。

 接種後すぐに出る副反応は、異物が入ってきたことに対する直接的な反応だろう。

 確かにそれは、2〜3日で収まる。

 しかし、体内で抗体が造られるまでの負荷がもたらす影響は、あまり聞かない。

 だが、それがあると仮定すると、このひと月の不調の原因が全て当てはまる気がした。

 実は、歯の腫れと並行して、手首の痛みがあった。

 これは、かなり昔から、体調が悪くなると腱鞘炎が出てくるという、私の持病みたいなものだ。

 湿布をすると、数日で良くなるのだが、痛い時は、物を握るのも激痛がある。

 おお、歯の痛みと似てるなぁ。

 腹痛も、また同じか。

 戦いの時は、弱いところに突いてくるんだと思った。

 生き抜いて行くって、リスクも伴うものなのだね。

 

 で、結論です。

 歯の痛みはすっかり治り、延期してた抜歯は、当面様子見となりました。

 たった一本の歯ですが、失うと思った途端に、さまざまな思いが交錯し、思い込みや勘違いで、治療を遅らせたことを後悔すると共に、自分の体が、着実に老いへと進んでいるのを認め、ちゃんとメンテナンスしなきゃならんなぁ。と心底思いました。

 抗うのではなく、認めつつ、付き合って行く。

 何事もね。

 

 ひまわりさんは、小さめではありますが、ちゃんと花を咲かせました。

 後ろの草たちは、ご愛嬌。