· 

埋もれる

 通りからは、キレイさっぱり見えなくなっております。

 今年も、緑濃ゆくなる季節、林の中に埋もれております。

 

 新緑がキレイ〜。

 なんて言ってたのが、ついこの間だった気がするが。

 この有様である。

 去年の今頃、この鬱蒼とした場所が盗賊に狙われたのは、当然なのかもしれない。

 いまだに犯人は捕まっていない。

 あれから、防犯カメラを設置し、センサーライトをつけ、ちょっとそこまででも鍵をかけるようになった。

 何しろ、それまでは、鍵など、遠出するとき以外かけた事がなかった。

 盗まれるものもないし〜と軽く考えていた。だが泥棒は、小銭に至るまで持ってゆくのを知った。残していったのは、アルミニウムの1円玉一枚だった。

 それなりの人生勉強代となった。

 まさか。は、突然訪れるのを思い知った。

 ここへ移ってきたばかりの頃は、車にさえ鍵をかけた事がなかった。

 震災があり、コロナ禍となり、時代が変化し、人の有り様も変わったのだ。

 古き良き昭和の感覚では、済まされない現実がある。

 我が身は、自分で守るしかない。

 

 ただ、この緑に埋もれる感覚は、実は、結構好きである。

 草との戦いは、果てしなく続くのだが、それも、決して嫌いではない。

 むしろ、草むしりは、ずっとやっていられる。

 草も生きるために伸びてくる。

 それをこちらの都合で、目障りだと引っこ抜く。

 草が悪いわけではないのにだ。

 人間の勝手な都合で選別されるわけで。

 抜かれる方の草の立場に立てば、やりきれない。

 かもしれない。

 だが、しかし。

 私は、容赦なく、少しでも深く引っこ抜く。

 そうすることで、次に伸びてくる勢力を弱めるのだ。

 そうして、自分が植えた植物の成長を促してゆく。

 これって、勢力争いか。

 いや、草の抵抗は、ただ生え続けるだけなのだから。

 一方的侵略をしているのは、私の方か。

 と、単なる草むしりにも、思考を巡らせる。

 これが、たまらなく好きである。

 

 今日もまた、草との戦いは続くのであ〜る。