大正生まれだった父は、使えるものはとことん使う人だった。
それは、環境に配慮するとか大袈裟なことではない。
「使えるから」
という、実に単純な考えだったに過ぎない。
メモ用紙は、新品をもらってもそれは使わず、広告やカレンダーの裏を束ねたチラシ帳を使っていた。
遺品整理をしていた時、父の束ねたチラシ帳が何冊も出てきた。
A4の紙を二つ折りにして、千枚通しで開けた穴に紐を通し、表紙には、ちょっと小綺麗な包装紙を使っている。項目が入れられるように、無地の紙も貼ってある。
長いこと家計簿と日記をつけていたので、そのための用紙だったのかもしれない。
ある時期から、記憶が曖昧になってゆき、途切れ途切れのメモになり、とうとう文字が書けなくなっていた。
それでも、チラシ帳は作られていた。
しかし、その劣化状態からすると、それも、途中で辞めてしまったのだろう。
重ねられていたチラシ帳の束を、私は捨てる事が出来なかった。
かと言って、どう使えばいいかも悩みどころである。
平成15年のチラシ。
それも、ボケ防止ときた。
なんとも皮肉である。
地区の班長をしていたので、回覧に回すチラシが余ると、それをチラシ帳にしていたようである。
ウチの店にはレジがない。その昔はちゃんとあったのだが、ある日突然壊れてしまった。2代目をダメにした時、レジを持つのをやめた。
時代に逆行しているのだが、可能な限りアナログで行こうと考えた。
伝票は、父が残したチラシ帳である。
ただ、これでは大きすぎるので、バラしてサイズを小さくする。
一日のお客さんは、多くても10名程度。3人って日も割とあるのだ。そのためにレジを買うのは馬鹿げている。レジスターは、安くない買い物である。その元を取るのは、現状では難しい。メモ用紙で十分なのだ。
時代は、キャッシュレスだ。
導入も考えたが、手数料を考えると、全く利益が生み出せない。
ハイテクは、弱小な商いには、残酷である。
とことんローテクで行こう。
千枚通しの穴のついたチラシ帳が、店の伝票として再生された。
って、切っただけだけどね。
ピアノ型のクリップも、鉛筆も、もらい物である。
父の残したチラシ帳は、たんまりある。
まだまだ、働けるぞぉ。
って、週2回だけどね。
当面、このスタンスを変える気はない。