![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=449x10000:format=jpg/path/sdcee3abed06343d3/image/i031dcc5b9e6ce508/version/1691991423/image.jpg)
礼文島からフェリーで揺られること約2時間、最北の地稚内に着いた。
結構な人が乗っていた気がするが、船を降りるとあっという間にいなくなってしまった。
スーツケースを引っ張りながら、街へ向かう人がちらほら。それに混じってJR稚内駅に向かった。道の駅と商業施設が一緒になった駅は、最北の地を思わせる佇まいとは言い難い。
最北端の線路
この案内がなければ、見過ごしてしまいそうなくらいビルの中の一部だった。
さて、朝一の船でここまできたが、今日の飛行機には乗れない。今夜は、稚内に泊まって、明日の朝の便で千歳まで向かう。
とりあえずホテルに荷物を預けて、昼食を食べよう。
って、最北の地・・・シャッター通りなんですけど・・・
なんとか見つけた地元御用達的な喫茶店でカレーを食べた。
この時点で、ノープランだった。
人気のない街を少し歩いて、駅の中にあるバスセンターへ行った。
すると、宗谷岬へ行くバスが数分後に来ると分かった。
おお、そりゃ行かねば。
慌てて、往復チケットを買って、路線バスに乗り込んだ。
このバスで行くと、帰りのバスまでの滞在時間は、約40分。少し短い気もするが、それが最終バスなのだ。
最北の岬に想いを馳せながら、揺られ揺られて50分。
滞在時間より長いじゃんか。
ま、これが地方の現実よ。
![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=561x10000:format=jpg/path/sdcee3abed06343d3/image/i0b6247727385faae/version/1691992373/image.jpg)
眩しさで目を瞑ってますが、間違い無く、最北端へ到達いたしました。
いやー、遠かった。
観光客は、多くもなく少なくもなく。
小高い丘にモニュメントがあるので見に行ったが、う・・・ん。
![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=420x10000:format=jpg/path/sdcee3abed06343d3/image/ib75e7870b9bbd6d9/version/1691992676/image.jpg)
風車が見えたので行ってみたが、閉鎖されていた。
まぁ、風景は、北海道!!って感じよね。
そうこうしている内に、帰りのバスの時間になっていた。
バス停には、割と人が並んでいる。
来る時乗っていた人が、ほとんど並んでいた。
何しろ路線バスなので、座れなかったらキツイなぁと思いつつ乗車。
ギリ座れた。
ふぅ。
街に戻りホテルにチェックイン。
食事は付いていないのだが、外へ出て食べる元気はもうない。
北海道最後の夜だが、地元スーパーのお惣菜。
でも、これがめちゃウマだった。
![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=389x10000:format=jpg/path/sdcee3abed06343d3/image/i1e8c5b3eabcd7b41/version/1691993268/image.jpg)
福島空港より小さな稚内空港。
チェックインもあっという間、お土産屋さんもこじんまり。
時間通りに飛び立った。
パッチワークな田園風景を眺めつつ、ジュースを飲み終えると千歳空港到着。
福島便まで空港内を散策、せっかく来たのだから札幌ラーメンを並んで食べた。
千歳空港は、もう一つの街くらいに広い。
なんでもある。映画館まである。
人の多さに、ちょっと疲れた。
![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=383x10000:format=jpg/path/sdcee3abed06343d3/image/i2620c1bcfde0585f/version/1691993671/image.jpg)
奇跡の一枚。
乗っていた飛行機が雲に映った。
さぁ、旅も終わりだ。
あれこれと問題が起きそうなこともあったが、ギリギリで全部上手く行った。
めでたしめでたし。
追伸
20数年前、礼文島で住み込み求人を見つけ、応募したことがあった。
年齢制限はあったのだが、ダメ元で電話したのだ。
結果。
あ、うちは20代じゃなきゃ採用しないから。
みなまで聞かずに、電話が切られた。
そりゃ、20代じゃなかったけど、仕事はできるぜぇ。
と、心で叫んだ。
今回、その屈辱を晴らすべく、礼文島へと渡ったのだった。
あの時、採用されていたら、今の「碧い月」は存在しないかも知れない。
そう、かもね。