· 

書くこと

 今年の四月末、速達郵便が届いた。

 差出人に心当たりはない。

 新手の詐欺かと思いつつ、封を開けると。

 一冊の冊子と執筆依頼の手紙が入っていた。

 「三春舞鶴通信」と書かれた冊子は、手作り感満載だが、ものすごく真面目に編集されてるし、執筆している方も中々の方々を連ねていた。

 私が作っていた「碧い月だより」とは、雲泥の差である。

 三春を愛する方々の集まりです。

 手紙には、そう記されていた。

 手紙の主は、何度か来店したことがあるらしい。

 思い当たる人が居た。

 数年前まで「ひとり朗読」と称して、毎月末に朗読公演を行っていた。

 聞いてくれるお客様は、毎回ほぼ決まっており、新規の方は滅多にいなかった。

 その滅多にないお客様は、必然的に記憶に残る。

 ああ、あの時の方だ。

 しかし、何で私に?

 素朴な疑問だが、まぁそれはいい。

 久しぶりの文章の仕事に、少し興奮したのは事実だ。

 見本にと、最新号を送ってくれたのを読んだ。

 う〜ん。

 ここに私が書いていいものか。

 場違いな気がする。

 ただ、描くことに異存はない。

 が、私は、三春を愛しているわけでもない。

 ましてや、ノーギャラ。

 かつての私だったら、報酬のない文章は書かなかった。

 報酬があっても無くても、書くことへのエネルギーは変わらない。

 無報酬で身を削るなど、以前の私には考えられなかった。

 誰かに読んでもらいたい。

 読んでもらえるなら、無報酬でも構いません。

 そんな精神は、持ち合わせていなかった。

 ま、自意識過剰だったのよね。

 だが。

 今は、そんなプライドは脱ぎ捨てた。

 つべこべ言わなくて、いいじゃん。

 と、思うようになっていた。

 それより、それまで培ってきた通信の空気感を壊すような気がした。

 その旨を告げると。

 それを期待しています。

 と返信が来た。

 では、私なりの文章を書こう。

 読んでいただいてから、掲載不掲載をお決めください。

 そう返事をした。

 

 掲載されました。

 これまで表現活動の名前は、「ほしゆきえ」とかな表記だったが、本名にした。

 もう、鎧を被る必要がなくなったからだ。

 読んでみたい人は、「碧い月」へご来店くださいませ。