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笑う角

パソコンの調子が悪い。
立ち上げに時間はかかるし、すぐに考え中になる。
サポートは、ずいぶん前に終了してるし、当然アップデートは出来ない。
お使いのプラウザが最新ではありません。
このフレーズを見るのは、日常的になってしまった。
容量はたっぷりあるのに、OSが古いばかりに持ち腐れ状態。
買い替え…か。
スマホも、微妙だし。
パソコン同様、考え中のアイコンが私の脳内でぐるぐる回る。
で、今回は、パソコンからではなく、タブレットからのアップを実験している。
これで問題なければ、パソコン買わなくてもいいか!?

さて、ボケボケな母親の話。
少し前までは、携帯の呼び出し音が鳴るたびに、心臓がドクンとなっていた。
母からだとわかると、深いため息のあとに電話に出ていた。
それは苦痛以外の何者でもなく、強いストレスを感じていた。
抜け出したくても抜け出せない。
その解決方法は、二つ。
全てを拒否するか、受け入れるか。
どちらも難しいと思っていた。
拒否したところで、いや、物理的に拒否は不可能。
何故なら、母の子は、私一人だから。
だったら、受け入れるか。
…それが出来たら、悩みはない。
あ〜あ、堂々巡りや。
ところが、転機は突然やって来る。
突如として、どうでも良くなってしまった。
以前も書いたが、一時的感情かと思っていた。
だが、まだ継続しているから、たぶんホンモノ。
ははは。
何でもかんでも、笑い飛ばせるようになった。
そしたら、母も一緒に笑い飛ばしてる。
それで母の妄想が消えるわけではないが、気持ちに余裕が出てきた。
気がする。
無理はしていない。
受け入れたのとも少し違うが。
あるがまましかない。
と、悟った。
のかな。
あまり、腹が立たなくなった。
ま、あまり…だけどね。
母の中の真実を否定するだけでは、お互いが苦しい。
声をあげて笑えば、重い空気が一掃される。
問題解決を笑い飛ばすことで、うやむやに出来る。
真剣に向き合うだけが介護ではない。
何しろ、相手は別な世界で生きているのだから。
その世界を認めつつ、曖昧に誤魔化す方が平和である。
笑ってるうちに、どうでも良くなる。
ようである。
これって、すご〜い、進歩よね。
あとどれくらい関われるのか。
おそらく、そう長くはない。
100歳まで長寿すれば、別だけど。
ま、それでも付き合える覚悟が整った。
気がする。
パソコンは、買い替えが出来るけど。
親子は、替えがない。
目の前にある別な方法で、案外上手くいくのよね。
ほら、タブレットでも、問題なくアップ出来るもん。
考え中のグルグルは、もうバイバイよ。
最新でなかったのは、私の脳内であった。