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拍子抜け

夢を見ないと言う母は、日中もウトウトすることが増えてきた。
少し前まで、昼寝などしない!と粋がっていたが、最近は、そんな反抗意識も薄れているようだ。
夜間頻尿が落ち着いてきたので、睡眠は足りていると思うが、すぐに横になっている。
以前は、昼寝中に訪ねると、バツが悪そうに。
今日は、たまたま横になってたら寝ちゃった。
そう、言い訳をしていた。
昼寝は、怠惰な人がする事だと思っているのだ。
それが、この頃は、私が部屋に入っても気づかないくらいよく寝ている。
そして、物取られ妄想は、少し落ち着いている。
思い出させると、再発しそうなので、こちらからは何も言わない。
とにかく、何でもかんでも、笑い飛ばすようにしている。
大きな声で笑うと、とりあえず、どうでも良くなる。
そんな気がする。

母の入居している施設は、ケアハウスという分類である。
ケアと名がついていながら、介護サービスは無い。
基本、自立歩行で食堂へ一人で行けるのが最低条件となっている。
部屋にミニキッチンが付いているので、自炊も可能である。
一食300円で賄われている食事は、栄養面は考慮されているだろうが、美味かは、微妙である。
このご時世、この金額でご馳走は望めるわけがない。
入居当時は、食堂で食べていたが、程なく朝食だけにして、昼と夜は自炊をしていた。
週に一度、移動販売のお店が来る。
月に一度は、買い物ツアーで大きなスーパーへ連れて行ってくれる。
足りないものは、時々私が送れば、自炊が出来ていた。
だが、まずは、移動販売へ行かなくなった。
ちょっとした思い違いから、勝手に非難されたと思い込んだ。
食材を送る回数が増えて行った。
次に、お金の管理が難しくなった。
持たせると無くしてしまい、どろぼうの仕業となる。
まぁ、大概見つかるのだが、泥棒が返してくれたと言い張る。
買い物ツアーを諦めてもらう代わりに、月一回買い物へ連れて行くことにした。
最初は喜んでスーパーへ行ったが、車で待ってる。と言うようになった。
歩くのがしんどいのもあるが、何を買えばいいのか分からなくなるらしい。
出来ないことが増えてきた。
そして、転んで手首を痛めたのをきっかけに、昼も食堂で食べるようになった。
それでも、変わらず食材は週一で送っていた。
凄まじい、食欲なのだ。
冷蔵庫の中が寂しくなると、物取られ妄想が起きてくる。
自分で食べているのに、泥棒に取られたと電話が来る。
心底ウンザリしていた。
当初は、言い訳とか、言い逃れ的な発言だと思っていた。
だから、キツく言うことも多かった。
しかし、そうではなかった。
マジなのだ。
真剣に、泥棒が自分のオカズを食べてしまうと思っているのだ。
どれだけ説明しても、自分がやっているとは、信じられいようだった。
自分の記憶が曖昧だとは、微塵も気付いていない。
母の困惑した表情は、切なかった。
もう、真っ当な思考を持つことは無理なのだとようやく悟った。
そして私は、怒らなくなった。
何を言われても、怒らなくなった。
それは、表面上だけでなく、怒りが沸かなくなったのだ。
そしたら、急に可愛く見えるようになってしまった。
あんなに憎らしいと思っていたのにだ。
無力な母を自然と受け入れた。
一生理解不能だと思っていたので、そんな自分がむしろ意外だった。
何を聞いても笑い飛ばせる。
そして、めんこいねぇと頭を撫でてやる余裕まで。
オドロキさ。
すると、母も落ち着く。
ボケてしまったら娘に見捨てられる。
母の不安は、それだけだった。
笑い飛ばす私に、安心したのだろう。
そしてついに、夕飯も食堂で食べたいと言い出した。
炊事をするのが億劫になったのだ。
これで、毎週の買い物地獄から解放される。
手放しに喜んでいいのだろうか。
なんか、拍子抜けだ。
急にいい子になってしまった母。
残された時間、どうか穏やかに過ごせますように。
そう思う、自分に驚きつつ。
あれ程持て余した感情は、来るべき時の覚悟に変わったのだなぁ。
そう、しんみり思うのであった。