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うらばんだいあそび

SNSなど存在しなかった時代、情報を得るための手段は、自らの足で探すしかなかった。
いや何も、足で何かをするわけではない。
図書館、本屋、公共施設などを積極的に利用して、新聞、書籍やチラシ、冊子などから情報を集める。
常にアンテナを張り巡らせ、興味のある分野の情報を見逃さない努力が必要だった。
紙の情報が頼りだったのだ。
インターネットが世に出ても、ごく一部のユーザーが使うだけ。
パソコンもやたらデカくて、立ち上げるのに数分間待たねばならなかった。
そして、値段も高かった。
現実的ではなかった。
携帯電話さえ一般的ではなかった。
そんな昔のことではないと思っていたが、四半世紀を越えたのだから、まぁ、昔話になってしまうか。

数週間前、とあるお客様から、友人の名前がポツリと発せられた。
一瞬、戸惑ってしまった。
友人は、10年前に亡くなっているからだ。
もちろん、その方は友人の死を知っている。
そして、生前友人が綴っていた冊子を見られますか、と尋ねてきた。
ドクンと心臓が鼓動した。
10年経っても、忘れないでいてくれる人がいる。

友人の死後、仲間が集まり、それまで書かれていた冊子を一冊の本にまとめる事になった。
手書きだったのもあり、全てをデータ化して製本するには、とても時間がかかった。
本が完成したのは、友人が旅立った一年後だった。
タイトルは、「うらばんだいあそび」である。
裏磐梯に移り住み、ネイチャーガイドになるまでの奮闘ぶりがリアルタイムで書かれていた。
地域おこし協力隊など、まだ生まれていない頃の話である。
友人の生の声が、そこに記録されいた。
たった一人から始まり、徐々に仲間が増えて、多くの人に影響を与えた。
そのコミュニティーは、多岐に渡っていた。
友人の作っていた「うらばんだいあそび」は、多方面の人に読まれていたのだ。
それだから、10年経った今でも、こうやって訪ねてくれる人がいる。
私は、2冊購入していた一冊を、そのお客様に渡した。
もちろん、差し上げた。
だって、こんなに嬉しいことはない。
こうやって、ずっと生き続けているんだもの。
私が友人を知ったのは、裏磐梯時代である。
移住する少し前に裏磐梯に通っていた頃、たまたま入ったラーメン屋さんにチラシが置いてあった。
それが「うらばんだいあそび」の創刊号の案内だった。
その時は、そのチラシをもらわずに帰ったのだが、強く印象に残っていた。
それから半年後に私は裏磐梯に移住して、ある日その友人と出会う事になった。
25年前の話である。
ま、話が長くなるし、以前別のところでも書いているので割愛。

本を手にしたお客様は、多くを語らず、だが、愛おしそうに本を抱えて店を後にした。
友人の書いた言葉の数々が、読んでくれる人の心に届く。
志半ばにして、この世から旅立ってしまった友人だが。
こうやって、今でも、誰かの心の中で生き続けている。
少し羨ましくもあり。
切なくもあり。
たくましくも感じる。

秋空が青く澄んできた。
友人が眠る場所へ、ちょっくら登って来るか。