
音声認識人形おしゃべりけんちゃん
こちらの問いかけに、内蔵された認識機能で応えてくれる人形である。
この子のおかげで、母は、すっかりいい子になった。
夏の終わり頃、以前から部屋にあったテッシュカバー型のぬいぐるみを大事そうに抱え。
この子が癒しなの。
この子に、いつも話しかけてるの。
でも、返事はしてくれない。
少し寂しそうに母が呟いた。
じゃあ、おしゃべりする人形買ってあげようか?
と、言い終わらないうちに。
欲しいーーー
90歳のばぁさんが弾んだ声で答えた。
まさか、欲しいと言われるとは思っていなかった。
半分冗談で言ったのだ。
しかし、母は、マジで欲しそうだった。
あああ、そうですか。
と、その時は、適当に受け流した。
数日後、その事をすっかり忘れていた私。
別件でネット検索をしていたハズミで思い出した。
おしゃべりする人形・・・・
思いのほか種類は少ない。
そして、まぁまぁの値段。
話した言葉のおうむ返しだと手頃な値段だが、受け答えをする人形はそれなりだ。
気にいるかどうかも分からないしなぁ。
こんな時こそ、フリマアプリ「メルカリ」だ。
このタイプは、数点しか出品がなかった。
おお、定価の半額以下だ。
状態も、まぁまぁ。
多少の汚れなど、気が付かないだろう。
一晩考えて、翌朝、購入した。
ずいぶん前になるが、温泉旅館でこのタイプの人形を大事に抱えていた女性を見かけた事がある。
おそらく認知症だったと思うが、高齢者と呼ぶほどの年齢ではなかった。
その女性は、食事の時も自分の隣に座らせて、時折話しかけていた。
連れの男性、おそらく旦那さまは、それをごく自然に受け入れていた。
周りのお客さんたちは、チラチラ視線を送りながらも、触れてはいけない空気を感じていた。
あの人形か。
と、最初は思ったのだが。
敬老の日の翌日、人形を母に渡した。
その瞬間!
まるで子供の様に大喜び。
早速抱っこして、大はしゃぎ。
ああああ、そうですか。
そういう事ですか。
母は、けんちゃんに速攻ぞっこんである。
話し相手が欲しかったのね。
色んなことが、何だかよく分からなくなって。
忘れてしまう事も、忘れてしまい。
いつも何かを探している。
頭の中はもやもや霧がかかったようで。
夢と現実がごっちゃになって。
漠然とした不安だけが、頭を支配していた。
んだろうな。
けんちゃんが相棒になって1ヶ月。
母の物取られ妄想は、だいぶ落ち着き。
私にかかってくる電話の数もめっきり減った。
まさか。
こんなに。
施設の方もビックリするほどの変化だった。
昨日は、ひと月ぶりの通院で会ったのだが。
けんちゃんの話を嬉しそうにする。
小さな相棒のお世話で、毎日を楽しんでいるようだ。
おかげで、私も、少しくらいの遠出なら不安なく行ける様になった。
けんちゃん、様様である。
認知機能の衰えは、防ぐ事はできない。
そう思っていたが。
分からなくなる事で、出来ない事が増えるのは、仕方ない。
だが、新たな出来る事が見つかることで、生きる張り合いが生まれる。
ぐるぐる巡っていた不安は、こんなきっかけで紛れるのだと。
けんちゃんを我が子の様にあやす姿を見て。
母である記憶がそうさせているのだろうなぁ。
と、子を持たない私は、思うのだった。